「海の復興」と「水産特区構想」

執筆者:寺島英弥2011年12月26日

 ……この先は、父がプロ修業の師になる。「網を上手に縫うのはもちろん、海から見える山の位置で自分の居場所を知ったり、風や天候を予測したり。覚えることばかり」
 小渕浜は後継者が多い浜だという。それが、漁業者たちの復興への希望だ。遠藤家は10月下旬、初めて自前のワカメ養殖を始めた。道具購入など、仮設暮らしには大きな投資だが、裕太郎さんを新しい力にしての家族ぐるみの挑戦である。

 
 牡鹿半島(石巻市)の漁業者一家を筆者が取材させてもらい、河北新報の社会面連載「ふんばる」(12月19日付)で紹介した話の一節である。現地は、3月11日の大津波の被災地。父親は地震の直後、「山に上がれ」と家族に言って漁船を沖に出し、津波から生還したが、浜の集落はほぼ壊滅。漁具類も流された。しかし、地元の水産高校3年の長男が「一緒に海の仕事をする」という夢をゆるがせず、家族の復興への希望となっている。
 この取材で、ベテラン漁師の父親は、宮城県が掲げた「水産特区」構想に触れ、「浜が工場と同じになってしまう。自分の浜だから、よくしようとも、きれいにしようともする。自分たちで復興しよう、なんて誰も思わなくなってしまう」と語った。母親も隣で「若い人の意欲をそぐ。海で働き、網を上げる醍醐味はどこにあるの?」と口をそろえた。

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