「男系天皇」と「女帝」を考える

執筆者:関裕二2012年4月9日

「男系天皇」や「女性宮家」が、国会で議論されるようになった。
 個人的には、「女性宮家」を創設する必要は無いと考えるが、「男系こそが天皇の伝統的な姿」と決め付けた上での議論には、違和感を覚える。歴史的事実がゆがめられ、「天皇はこうあるべき」という「願い」が、先走っているように思えてならないからだ。
 そこで今回は、「天皇と女帝」について、考えてみたい。

ヤマトの王家の始祖は?

 日本は複数の女帝を輩出した珍しい国だが、女帝の祖を男系でたどっていくと、必ず男帝に行き着くことから「男系」と判断される。
 しかしこの常識は、逆立ちしていないだろうか。天皇の祖を遡っていくと、女王や女帝にたどり着くからである。
 纒向(まきむく)遺跡の発掘調査が進み、ヤマト建国の祖は女王卑弥呼ではないかと疑われはじめている。筆者は、卑弥呼ではなく卑弥呼の宗女の台与(とよ)が「ヤマトの王家の始祖」と考えるが、いずれにせよ、王家の根源に立っていたのは女王だろう。神話の中で、女神・天照大神(あまてらすおおみかみ)が主役を演じているのは、ヤマトの歴史が女王から始まっていたからである。これは理屈ではなく、古代人の信仰なのだ。連載第20回「混迷の時代と女王・女帝」でも触れたように、古代日本人は、女性の「産み出す力」を重視していた。前方後円墳体制という歴史的な画期が女王の時代に始まり、推古女帝の代に終焉したのは、この信仰ゆえであろう。
 仏教導入直後、「まず女性が出家した」のも、非常に日本的な現象だったのだ。日本では、「まずはじめに女性が神(仏)の前に立って(神と交わって)、物事を産み出す」のであり、これが、「まつりごと」の基本であった。

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