北朝鮮のテポドン2ミサイルの発射実験失敗。金正恩新体制の発足を盛り立てる上で「屈辱的な敗北」(リチャード・ハース米外交問題評議会会長)を喫したと言えるだろう。
 対外的にも、重大な痛手を負った。隠された損失として、北朝鮮のミサイル輸出市場への悪影響も見逃せない。北朝鮮製ミサイルの信頼性に傷が付き、1990年代に北朝鮮が「年間10億ドル」にも上ると“自己申告”したミサイル輸出代金を当て込むことができなくなるかもしれない。
 北朝鮮を中心として、ミサイル・核兵器技術供給・調達の相関図を描くと、元々の供給源になった旧ソ連・ロシアや中国を含めて、パキスタン、イラン、エジプト、シリア、ミャンマーなど、蜘蛛の巣のような形が広がっている。この秘密ネットワークには、なお数々の秘密が隠されているのだ。

ノドン発射実験後パキスタンと商談成立

パキスタンの「核開発の父」カーン博士 (C)AFP=時事
パキスタンの「核開発の父」カーン博士 (C)AFP=時事

 在京国際情報筋によると、1993年5月、北朝鮮が日本海で行なったノドン発射実験をパキスタン軍関係者が視察した。同年末、当時のブット・パキスタン首相がミラニ国防相を伴って訪朝、金日成主席と会談し、パキスタンから北朝鮮にウラン濃縮技術、北朝鮮からパキスタンに弾道ミサイル技術――と相互に得意分野の技術を供給することで合意した。  北朝鮮のノドンはパキスタンに供与されて「ガウリ」と名を変えた。さらに、イランにも供給され、「シャハブ」となった。  そもそも「ノドン発射」のニュースは当時の石原信雄官房副長官が朝回り記者に打ち明けて分かった。その情報源は「中東筋」とだけ石原氏は言うが、イランのミサイル開発を警戒するイスラエルだったに違いない。  米ジャーナリスト、セイモア・ハーシュ氏によると、この取引を実行するため、パキスタン「核開発の父」で核の闇市場を操ったA.Q.カーン博士は13回訪朝したことを米中央情報局(CIA)は探知したという。  秘密のベールに包まれた北朝鮮とパキスタンの取引の実態が昨年、カーン博士が米メディアに提供した文書から明らかになった。  それらの文書のうち一つは、1998年7月15日付で朝鮮労働党の全秉浩書記(当時)がカーン博士に宛てた書簡である。  全書記は軍需工業部門責任者として大量破壊兵器(WMD)関係の海外調達を担当していたとみられ、部下のカン・テユン少将をパキスタンの首都イスラマバードに外交官として派遣していた。  この書簡によると、ウラン濃縮関係の調達に関連して、「カン少将から当時のカラマート・パキスタン陸軍参謀総長に現金300万ドルが支払われ、別の将官ズルフィカル・カーン氏に50万ドルとダイヤモンドとルビーのセット3個が贈られた」との事実を全書記がカーン博士に伝えている。さらに、北朝鮮からパキスタンに北朝鮮製ミサイル部品を輸送した北朝鮮機の帰途に、ウラン濃縮関係の合意文書や部品を積むよう要請している。  昨年7月、日本の大手メディアはこの部分だけを報道、「北朝鮮がパキスタン軍幹部にわいろを提供」と話題になった。

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