私の高速バス体験記

執筆者:徳岡孝夫2012年5月10日

 時速90キロの大型ツアー・バスが関越自動車道の遮音壁に突っ込んで死者7人、重体・重傷14人。  助かった乗客によると、出発前にシートベルトはどこかと問うと、運転手は「バスの中でシートベルトする人はいないよ」と答えた。それでも探してベルトをしたから、死なずに済んだのかもしれない。  また「あの運転手は何度も急ブレーキを踏み、ナビを見ていた。明らかに地理に不案内だった」と語る乗客もいた。そういう証言より河野化山運転手(43)自身が「居眠りしていた」と認めた。  運転の実態が分ると共に、バス会社の経営実態も分り始めた。  河野運転手は、バス会社・陸援隊の社員でも何でもなかった。バスが必要で他の運転手の都合がつかないときだけ、月に1度ほどの割合で呼び出されて働く「日雇い」運転手だった。バスも河野氏の所有であり、陸援隊は乗客と「個人バス」を繋ぐ輪に過ぎなかった。    私は東京オリンピックのあった1964年に運転免許を取り、定年後の1986年に視力を損じて免許証を返上したが、その間に少なくとも2度、落命しても不思議でない体験をした。  1度は、ボストン空港でレンタカーを借り、ビルの前に駐車してあった車に乗って、踏んだと思ったブレーキがアクセルだった。あわててブレーキ(と思ってアクセル)を踏み込んだから、車は加速し、かなり交通量のある道路を後ろ向きに横断した後、やっと停車した。

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