米中「覇権の調整期」に起きた陳氏の逃避行

執筆者:会田弘継2012年5月19日
キャンベル国務次官補(右)とロック米駐中国大使(中央)に手を引かれる陳光誠氏(c)AFP=時事
キャンベル国務次官補(右)とロック米駐中国大使(中央)に手を引かれる陳光誠氏(c)AFP=時事

 逃避行は子細に世界に伝えられた。中国山東省の寒村の自宅に軟禁されていた盲目の人権活動家、陳光誠氏が4月22日、月のない夜を狙って脱出。南京からの支援者と落ち合い、車で500キロも離れた首都・北京まで運ばれた。支援者らは米国務省高官と連絡を取り、陳氏はアメリカ大使館に保護される。逃避行はまさにスパイ映画もどき。保護されるまでは米大使館の車と中国治安当局の車のカーチェイスまであった、と米紙「ニューヨーク・タイムズ」は経緯を報じた。 【A Car Chase, Secret Talks and Second Thoughts, The New York Times, May 2】  事件はクリントン国務長官ら閣僚が参加する北京での米中戦略対話を前にして起きた。世界は固唾を飲んで陳氏の運命を見守った。陳氏はいったん中国にとどまる意向を示し、脱出時のけがの治療に北京市内の病院に移った。だが家族らの身に危険が迫っているのを知って翻意し、米国行きの希望を携帯電話で米議会に直訴する。その顚末も世界のテレビに映し出され、最後はクリントン長官と戴秉国・国務委員の手打ちで米国行きが決まった。

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