男子柔道惨敗とスポーツ・インテリジェンス

執筆者:春名幹男2012年8月5日

 ロンドン五輪前半戦、日本人にとってショックだったのは、男子柔道が五輪史上初めて金メダルなしに終わったことだった。

 柔道が公式競技となったのは48年前の東京五輪。無差別級決勝で神永昭夫がオランダのアントン・ヘーシンクに抑え込まれて負けて以来、柔道の国際化は不可避だった。「ウィンブルドン現象」に似たグローバル化現象と言ってしまえばそれでおしまいだが、世界における日本の存在感が低下したことと関係があり、見過ごせない。

 終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は軍国主義排除の理由で、「武道禁止令」を出した。しかし、冷戦の深刻化で共産主義に対する日本人の抵抗力を付けるため武道を推奨、「60年安保」の翌年、国際オリンピック委員会(IOC)が柔道を五輪種目に決めた。

 だが国際化で柔道競技はもはや「道」ではなく、欧米的スポーツの1種目としてのJudoになった。

 講道館柔道は、嘉納治五郎が「柔術」を改良して創始した。日本の五輪参加に尽力した嘉納治五郎は、既に世界を見据えていた。結局、国際化には成功した形である。

 柔術は本来、「柔」の理を応用して相手を制御する武術であり、力で対抗せず相手の力を利用して倒す術であるが、今の柔道は、技と技ではなく、力と力のぶつかり合いになっている。「指導」「有効」「技あり」「一本」の順にポイントを付けて勝敗を決める制度は本来の柔道とは相容れない欧米式の競技、と言えるかもしれない。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。