「日本」と「渡来人」の関係

執筆者:関裕二2012年9月19日

『古事記』編纂1300年の今年、各地で数々のイベントが開かれている。江戸時代の国学者たちが、「『古事記』神話こそ、日本人の心の故郷だ」と称え始めて以来、『古事記』は「神典」となって、人々に親しまれることとなった。
 しかし、腑に落ちないことがある。神話に登場する神々の人気が低いのだ。それよりも、渡来系豪族・秦氏が祀っていた稲荷社や八幡社が、全国の神社の過半数を占めている。神話に登場する天照大神や天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)といった天皇家の祖神を祀る神社を数の上で圧倒している。ここに大きな謎が横たわる。『古事記』の神話は、本当に日本人の原風景なのだろうか。

『古事記』は「心の拠り所」だったのか?

 われわれが親しんできた「神話」は、8世紀の朝廷が、王家の正統性と、支配の正当性を訴えるために構築したものだ。巷で語り継がれていた「色とりどりの神代の物語」とは性質を異にしていただろうし、庶民は朝廷の構築した神話に触れる機会を与えられなかっただろう。第一、文字を読めたのは、一握りの知識人だけであった。したがって、『古事記』や『日本書紀』の神話が太古の日本人の心の拠り所であったと考えるわけにはいかない。それどころか、庶民にとって、神話の神々は、「ありがた迷惑」な存在だったかもしれない。
 律令制度が構築されると、神道は「効率よく税を徴収するためのシステム」に組み込まれた。古代の税とは、建前上は神への捧げ物だった。ところが、各地の民は重税に喘ぎ、次第に制度疲労を起こし、税徴収システムの中間管理職に当たる神社の神官たちが、「神々が託宣して、仏教に帰依したいと言っている」と、報告するようになった。すなわち、神道(律令神道)によって税を徴収することは、もう無理だ、と悲鳴を上げたのだ。庶民は税を取り立てる「朝廷にとって都合のいい神社」を敬遠していたのだろう。

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