ミャンマーの「中国離れ」は本当か

執筆者:樋泉克夫2012年10月26日

 ついにというべきか、やっとというべきか。全日空(ANA)による成田・ヤンゴン路線の定期便が12年ぶりに再開された。ビジネスクラス30席程に特化した小型機で、当面は週2日間の運航とのことだが、いずれ機体も大型化し、往復便数も増加するはずだ。メディアはミャンマー関連セミナーも大盛況だと報じている。日系企業に対する「反日テロ」が現実化した中国市場におけるリスクを考えれば、日本経済界が「アジアに残された最後のフロンティア」に対し熱い思いを抱いたとしても不思議ではない。

 「民主化」「中国離れ」「対中包囲網」――ミャンマーをめぐる三題噺のような情況に後押しされた活況ぶりが報じられているが、やはり現状を冷静に考えれば、首を傾げざるを得ない。

 先ず「民主化」だが、それは何に起因するのか。軍事政権出身のテイン・セイン大統領が政権中枢から保守派を切り捨て、アウン・サン・スー・チーが国内における自由な政治活動を許されたばかりか、欧米諸国に出向き自由な発言を繰り返しているからだろうか。だが、考えてみればミャンマーが現実的に生き残り、低迷した経済を離陸させ、国民を食わせるためには“民主化路線”に転じ、日本や欧米から外資と技術を持ち込むしかないだろう。ちょうど、毛沢東による対外閉鎖・自力更生路線を切り捨てた鄧小平による開放政策のように。

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