歴史を考えるために必要な「八重の桜」敗者の視点
2013年4月8日
NHK大河ドラマ「八重の桜」は、敗者の視点から幕末の歴史が描かれている。好感の持てるドラマだ。
長い間明治維新は、勝者の視点で論じられ、薩長土肥の正義ばかりが目立った。
しかし、単純な勧善懲悪で歴史を語ってはならない。徳川幕府や会津藩にも言い分があったはずなのにほとんど顧みられず、一方的な歴史観が罷り通ってきたように思う。勝てば官軍である。
歴史は勝者がつくるものなのだとつくづく思う。維新後150年近くたって、ようやく多角的な視点から幕末と明治維新を見つめ直す気運が高まってきたということだろうか。
悪者にされた蘇我氏と「東」
古代史でも、まったく同じことがいえる。西暦720年に編纂された『日本書紀』が勝者の歴史書であったことに、どれだけ注意が払われてきただろう。
7世紀は蘇我氏が没落し、藤原氏が台頭する時代だった。そして同時に、蘇我氏とつながっていた「東」も衰退したのだ。連載29話「久渡古墳群が伝える『ヤマト』と『前方後方墳勢力』の関係」(2012年8月9日)で書いたように、「前方後方墳体制側」が敗れたのである。
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