中国内陸の重慶に根づいたスズキの十年

執筆者:水木楊2005年4月号

「重慶の犬は太陽に向かって吠える」と言われるほど、重慶の空はいつも霞がかかっている。犬が太陽を月と間違って吠えるというわけだ。山地にあるため、霧が立ち込めるためでもあるが、その霧にはスモッグが溶け込んでおり、街を歩いていると、肺の隅々にまで霧が浸透するような気がして息苦しくなる。 中国の大河・長江(揚子江)の上流に位置する重慶市の人口は、現在三千百三十万人。もちろん本来の重慶市の周辺地域も含んだ人口だが、目下、拡大中。空気の悪さは昭和三十年代の日本と同様、この街が急速に発展しつつある証拠でもある。 一九九七年、中国政府は四川省から分割するかたちで重慶を直轄市にして、その開発に力を入れ始めた。上海、広州、大連などの沿海地域だけではなく、内陸にも開発の軸足を置こうという姿勢の表れである。二〇〇九年、重慶よりも下流の長江に建設中の三峡ダムが完成すると、水位が上がり、一万トンクラスの貨物船も往来できるようになる。 古くからの工業都市である重慶の工業総生産額は、二〇〇四年には三千二百十億元(約四兆円)に達しており、これは二〇〇〇年の倍。スウェーデンのボルボやスイスのABBといった多国籍企業が同市政府と投資契約を結ぶなど、外資の進出も相次いでいる。重慶市の成長は約束されているが、その割には進出している日本企業の数は少ない。目下、重慶に駐在中の日本人の数は百名ちょっと。二万人から三万人と言われる上海に比べると二ケタ少ない。

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