「悪童・柿谷」初登場

執筆者:星野 智幸2013年7月30日
 東アジアカップの対韓国戦。後半ロスタイムに決勝ゴールを決め喜ぶ柿谷=7月28日 (C)時事
東アジアカップの対韓国戦。後半ロスタイムに決勝ゴールを決め喜ぶ柿谷=7月28日 (C)時事

 ついに柿谷曜一朗が日本代表でデビューした。初出場で初得点に始まり、優勝を決める劇的な決勝点まで決めて。

 キリンのように細長い体と首を揺らめかせながら姿勢よく走り、ウェーブを描くような細かな緩急を交えた動きで相手を翻弄し、足もとはおろか体のあらゆる部位でのボール扱いに長け、正確無比なキックを持ち、視野が広く、ポジション取りにも優れている。どこを取っても、圧倒的な才能があふれている逸材だ。17歳の時点で、すぐにでも日本代表を背負って立つ選手として、脚光を浴びていた。私が柿谷の名を頭に刻んだのも、そのころだった。

 しかし、代表デビューしたときには、同世代の香川真司や清武弘嗣らから大きく遅れて、すでに23歳になっていた。

 

セレッソの光と影

 香川と並ぶ才能を持ちながら、なぜ、これほど遅れたのか? そこに柿谷の魅力と欠点が凝縮されている。

 端的に、「悪童」だからだ。優等生である香川が順調に伸びていく中、柿谷はグレたのだ。同じセレッソ大阪に所属しながら、香川がチームの中心となっていく中で、2番手であることに腐り、練習に遅刻するなど、投げやりになっていった。その結果、J2の徳島ヴォルティスにレンタル移籍で放出される。そこで「更生」して、昨年からセレッソに復帰、ようやく才能を爆発させているわけだ。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。