当時を振り返る青木夫人(筆者撮影)
当時を振り返る青木夫人(筆者撮影)

 外交官が外務省を定年退職する時、夫婦で「任地で大きな事件、事故がなくてよかった」と安堵の言葉が口をつくという。これは何人もの外交官OBから聞いた話だから本当だろう。

 任地で邦人がクーデター、テロ、大災害などに巻き込まれると、邦人保護の最前線に立つ日本大使館は大変だ。陣頭指揮をとる大使の危機管理能力が試され、メディアの批判にもさらされる。しかしその大使が事件の渦中に巻き込まれたらどうなるか。

 駐ペルー大使だった青木盛久氏は1996年12月、公邸で天皇誕生日レセプションを開いているさなか、過激派に襲撃され、71人の人質と共に126日間、公邸内で囚われの身となった。いわゆる日本大使公邸人質事件である。この時、公邸の外から物心両面で支えたのが夫人の直子さんだった。その直子さんが最近、取材に応じ、当時、ほとんど報じられなかった「大使夫人の危機管理」について語ってくれた。

 

緊迫の脱出劇

 あの日(12月17日)は、夕刻から日本大使公邸は天皇誕生日を祝うレセプションの招待客でごった返していた。午後8時20分ごろ、公邸の玄関付近にいた直子さんは、ドカーンという音を聞いた。「ガス爆発よ」と招待客。しかし続いて連射音が響き、ただごとでないと気付いた。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。