「世界で一番長い旅路は、ブルックリンからマンハッタンへの旅路である」  この一節を目にした時の衝撃はいまでも忘れられない。1970年代のはじめだった。日本ではまだ大学紛争の余波が続き、アメリカもベトナム戦争、学生運動、人種問題などで揺れ続けていた。  ノーマン・ポドレッツ(1930-)は、気鋭の文芸評論家として、当時の日本に紹介されていた。  そのポドレッツの二作目。自叙伝に託した時代評ともいえる秀作『メイキング・イット(成功する)』(1967)の書き出しだ。  ニューヨークの下町ブルックリンから、ブルックリン大橋でほんの数百メートル。イーストリバーを渡れば、アメリカ繁栄の象徴であるマンハッタン島に入る。  だが、ユダヤ移民の子であるポドレッツや、近所のイタリア移民や黒人の子にとって、それは「世界で一番長い旅路」だ。 「すごいひらめきを得た。負け犬になるより成り上がり者になったほうがずっといいのだ」。カネは重要だ。権力が欲しい。名声は「例えようもなく甘美だ」。  ポドレッツは臆面もなくエゴを語り出す。  実業家の成功物語ではない。  進歩派(リベラル)の泰斗とされていた文芸評論家ライオネル・トリリングの薫陶を受け、英ケンブリッジ大に奨学金留学し、政治哲学者ハンナ・アレントや、のちにノーベル文学賞を受ける作家ソウル・ベローらと交わる気鋭の評論家がつむぐ自身の物語と知識人らの現実。

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