寒い年末、足腰が弱った元公安捜査官は面会を丁重に断り、電話ならと相手してくれた。 老人は、肝心の話は「ハッハッハ」と笑ってごまかした。「二十年前、辛光洙容疑者を立件しないと決まった時、泣いて抗議したんですって?」と聞いた時だ。 辛容疑者が韓国国家安全企画部(安企部=当時)に捕まったのは一九八五年春。取り調べで、八〇年に大阪の中華料理店コック、原敕晁さんを拉致したことを自供。その年の十一月末、ソウル地裁は死刑判決を言い渡した(後に無期懲役に減刑)。 自供内容は日本の警察庁にも伝えられたが、その際日本の警察は立件しないと決めた。元捜査官の涙の理由はそこにある。「検察庁も、韓国の情報機関の捜査結果が日本の裁判所で証拠採用される可能性は低いとの判断だった。不起訴覚悟で立件してもよかったが、警察キャリア幹部は保身を優先させた」と別の関係者は言う。 日本の警察には情報機関の機能もあるが、本来は刑事捜査機関だ。一事不再理の原則もあって、立件には慎重だった。「純粋な情報機関なら、継続調査をとまどうことなどなかった」とも在京国際情報筋は指摘する。 八八年三月、城内康光警察庁警備局長(後に長官)は参議院予算委員会で橋本敦議員(共産党)の質問に対して、「いわゆる辛光洙事件」を認め、「ICPO(国際刑事警察機構)ルートを通じて掌握している」と述べた。梶山静六国家公安委員長も「真相究明のため全力を尽くす」と答弁した。

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