遠慮会釈ないハマスが持ち込んだ絶望

執筆者:徳岡孝夫2006年3月号

 英語になりにくい日本語の一つに「遠慮」がある。含みの多い語なので、使う人の立場や背景を知らないと正しく翻訳できない。 日本の赤軍兵士三人がイスラエルのテルアビブ空港で自動小銃を乱射した(死者二十六人)一九七二年五月、私は羽田空港へ駆けつけ、取り敢えず「テルアビブ一枚」と切符を買った。それからカウンターの上に「ABCブック」を広げ、最も早く現地に着く便を探した。 JALはユダヤ国家には着陸しない。なぜならイスラエルはアラブの不倶戴天の敵だし、アラブは日本へのアブラの大供給源(下手な駄ジャレ)だから、日本航空はアラブに遠慮してユダヤの土を踏まないのである。 コンピュータが未発達の時代に、世界中の空港を発着する全定期便を検索できる電話帳より分厚いABCブックは、新聞記者の最良の友だった。それを繰って、私はバンコクでTWAに乗り換え、最も早く取材現場に着いた。イスラエルの首都はエルサレムだが、「エルサレムは我らの聖地だ」と叫ぶイスラム教徒に遠慮し、日本政府は大使館をテルアビブに置いていた。 もう一度、中東の現場に行ってみたい気がする。今度は日本人によるテロの取材ではなく、ユダヤ人殲滅を誓うパレスチナのテロ集団ハマスが手に入れたガザを見たい。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。