大国化戦略を押し進めてきたタクシンの政治権力は国王の権威すら脅かしかねないものとなった。タイは国家としての岐路に立っている。「反政府グループの集会が、順調なタイ経済と政府の信頼に悪影響を与えかねない」 退陣要求運動の高まる二月二十四日、こうした理由を挙げてタクシン首相が抜き打ち的に断行した下院解散は、かつてのタイでみられた“お手盛りクーデター”を連想させるものだった。昨年二月の総選挙で下院五百議席中三百七十六議席(現在は三百七十四)を獲得し、一九三二年の立憲革命以来空前の巨大与党となったタイ愛国党を率いるタクシンは、八〇年代半ばまで続いた軍人宰相の姿によく似ている。 かつて、内閣不信任や予算審議など重要案件について下院と同等の権限を持つ上院は、勅選の国軍関係者で占められていた。つまり「上院」と「与党」は同義語。下院を構成する政党は無力。いわば翼賛国会を背景に、政権を掌握する国軍主流は絶対的権力を気ままに揮っていた。 民主化要求を国軍が武力で制圧するという、あたかも天安門事件に似た「五月事件」がバンコクで起こったのは九二年。時代と国民意識の変化に気づかず世論の支持を失い、事件の処理に失敗して国王に叱責された国軍は、政治の舞台から引き下がった。憲法が改められ、上院からは以前の権限が失われた。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。