「八月十五日」以前に雪崩を打ったポピュリストたち
2006年9月号
八月十五日朝、小泉純一郎首相は靖国神社に参拝した。終戦記念日の参拝は総理就任後初めて。周囲の騒ぎをよそに、本人は「終わりよければすべてよし」の心境だったかもしれない。就任前の公約をようやく果たしたことになるからだ。 だが、そういう心境になれたのも、「後継」が事実上決まっていたから。この日を前に、ポスト小泉レースは大勢が決していた。 *「雪崩がどうしたって? 真夏に雪崩もないもんだろう」。自民党の中川秀直政務調査会長は上機嫌で記者団の質問を混ぜ返した。硬い表情を作ろうとしても頬が緩んで作れない。そんな風情だった。 自民党総裁選の告示まで残り一カ月を切った八月九日。丹羽・古賀派の共同代表の一人、古賀誠元幹事長と二階派会長の二階俊博経済産業相が安倍晋三官房長官を支持する意向を固め、安倍氏の後見人格の中川氏に伝えたとのニュースに党内は色めき立っていた。親中派で知られる古賀、二階両氏は安倍氏の対中強硬姿勢を嫌い、「安倍政権」阻止に動くとみる向きが少なくなかったからだ。「これで、他のグループも雪崩を打って安倍支持に回るのではないか」というのが記者団の質問だった。 中川氏は単に二人から安倍氏支持の意向を伝えられただけではない。二人を説得し、軌道修正させたのが中川氏だった。それぞれを何度か酒席に誘い、党内情勢について意見交換し、辞を低くして安倍政権に協力を求めてきた。
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