始まった「福島一揆」――東日本大震災から3年半

執筆者:吉野源太郎2014年9月11日

 漆黒の闇。車のライトに浮かび上がる曲がりくねった道路の先に、時折、野生の狐の目が黄色く光る。

 福島県郡山市から南相馬市に向かう途中、予定の遅れを取り戻そうと、幹線道路から山中の枝道に入ったのが間違いの元だった。以前、日中に何回かは通ったことのあるルートだったが、夜は全く別の世界。レンタカーのナビゲーション・システム に最新情報が入っていなかったこともあり、行く先々で交通止めに出くわす 。東京電力福島第1原発の事故後に原発に近い地域一帯にかけられた避難指示や居住制限等の指定に伴う交通規制である。

 やむなくUターンをして出直そうとしても別の道で再び規制に行く手を阻まれる。わけが分からなくなって闇雲に走りまわったあげく、出発点に戻ったりする。まるで狐に化かされているような旅の末、目的地に着いたのは何と5時間後。その間、道を尋ねようにも人影はなく、たまに人家を見かけても屋内に人が住んでいる気配はない。

 3年半前、大震災直後の現場を取材しようと、原発のある福島浜通りを車で北上した時のことを思い出した。誰にも出会わない夜道の恐ろしさは、あのときとそっくりだ。当時足を延ばした宮城から岩手にかけての道は、津波で運ばれてきた瓦礫で埋め尽くされ、これもすさまじい光景だったが、これら三陸地方では今は高台移転や漁業の復興など次第に明るい話題も伝えられている。だが、福島では、被災の傷跡はむしろ拡大しているように見えた。

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