WFP輸送責任者が語る「食糧援助は地の果てまで」

執筆者:草生亜紀子2007年3月号

「WFP(世界食糧計画)史上最大の物流作戦」の始まりを告げる電話が本部からかかってきたのは、二〇〇二年の大晦日。アメリカがイラク空爆を始める三カ月前のことだ。国連の専門機関WFPは、食糧不足が発生しそうな緊急事態に備え、世界中の政治情勢から気象、農作物の作柄まで常に監視している。 WFP輸送・調達部次長のアメール・ダウディー氏は中東事務所のあるカイロに拠点を移し、戦争開始に伴って必要となりそうな食糧をはじめとする援助物資の輸送計画を作り始めた。WFPは自らの組織業務を行なうだけでなく、国連児童基金(UNICEF)や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)など他の組織に輸送手段がない時、代わって輸送を受け持つ後方支援活動の中核組織である。 世界各地で援助物資の調達と輸送のプロとして経験を積んできたヨルダン人のダウディー氏にとっても、二千七百万人のイラク国民に月五十万トンの援助物資を届けるのは容易な任務ではなかった。戦争前、イラク国民の多くが配給物資に頼って生活していたため、無政府状態の中で国連が旧イラク政府に代わって食糧を届けなければならなかったのだ。 月五十万トンの物資を言い換えると、毎時七百トンの荷物を一日二十四時間、週七日にわたって送り続けることを意味する。WFPは戦闘が終わった後の〇三年六月から、これを三カ月続けた。空前の規模の物流作戦だった。

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