「言論・表現の自由」が無際限でないとしたら、どこに限界があるのか――。フランスの風刺週刊紙『シャルリー・エブド』への襲撃事件に続き、デンマークのカフェで「言論の自由」をめぐり開かれた集会が襲撃され、にわかに議論が沸騰した。当欄も含めたメディア全体の問題である。事件から少し距離を置けるようになった今、考えたい。

 事件はともに過激思想に影響されたイスラム系住民が絡み、直後にユダヤ人が被害を受ける襲撃が起きていることから、西欧諸国の「言論・表現の自由」と、イスラム系住民の信仰、反ユダヤ言論規制までを巻き込んで、複雑な論争となった。その複雑さはまず、シャルリー・エブドが掲げたムハンマドの風刺画をめぐり、各国の新聞が転載と見送りに分かれたことに浮き彫りにされた。

 米国の最有力紙『ニューヨーク・タイムズ(NYT)』は事件の発端となった風刺画ばかりか、事件後初めて発行されたシャルリー・エブドの表紙画の転載も見送った。その決断について、米国の進歩派オンライン新聞『ハフィントンポスト』はメディア欄で特集を組んで、NYT幹部らの見解を紹介している。【New York Times Only Top U.S. Newspaper Not To Publish Charlie Hebdo Cover, The Huffington Post, Jan.14

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