輸血拒否の「エホバの証人」に向かい合う

執筆者:髙本眞一2015年3月28日

 1985年、エホバの証人を親に持つ子供が交通事故に遭い、輸血をしなかったために死亡したとの記事が新聞に載りました。それを読んで、私は憤慨しました。親は自分の意思で信者になったとしても、その子供が自らの意思で信者になっているとは限りません。さらに、洗礼を受けていなければ、正式には信者とは言えないのです。
 医師とすれば、輸血をすれば生かせた命を、輸血をしないがために死亡ということになれば、自分が殺してしまったような後悔にさいなまれるでしょう。私は、もし、親がエホバの証人であっても、自らの意思で輸血を拒否しない小児の手術を手がける機会があったならば、親に訴えられ、投獄される可能性があったとしても、絶対に輸血をして命を助けようと決意しています。

 心臓血管外科の医師ならば、必ず数人のエホバの証人の患者さんに出会うのではないかと思います。エホバの証人の患者さんは、病院にくると、まず「治療に輸血が必要な場合にも、絶対に輸血はしないでください。それによって、命が絶たれても訴えを起こしたりはしません」と口頭で説明するとともに文書も提出します。
 心臓の手術でも約半数は輸血なしでも手術ができます。しかし、再手術の場合には癒着があるので、手術に時間がかかりますし、出血もするので、ほぼ輸血が必要になります。あるいは先天性の心疾患の小児なども、もともとの血の量が少ないので貯血(自己血輸血を行う際に、患者自身の血をとっておくこと)もできず、人工心肺を使うと血の濃度が薄くなってしまうので、やはり100%に近い確率で輸血が必要です。エホバの証人の患者さんは、外科医にとって、たいへん難しい方々です。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。