党首討論も逃げ「変わらぬ小沢」と「変わった安倍」の正念場
英国議会のプライムミニスター・クエスチョンタイムにならい、国会に党首討論が導入されたのは八年前の小渕恵三内閣時代。小沢一郎・現民主党代表が当時率いていた自由党が連立参加の条件として、政府委員制度廃止と副大臣制度導入を自民党に要求したのがきっかけだった。官僚が政府委員として国会に出席し「政府といたしましては……」と答弁していた従来の慣行をあらため、答弁者を大臣、副大臣に限定することで、「官僚主導」から「政治主導」への転換と国会審議の活性化を図るべきだとの主張だった。自民党が渋々これを受け入れ、国会法改正に向けた与野党協議が進められる中で「いっそのこと党首討論も」となったのである。小沢氏はいわば党首討論の生みの親だった。 だが、その小沢氏が当事者であるにもかかわらず、一月二十五日の召集以来、今国会ではまだ一度も党首討論が開催されていなかった。首相が本会議やほかの委員会で答弁する週以外は原則毎週一回、水曜日の午後に行なうのがルール。開催するチャンスは何度もあった。開かれていないのは、ひとえに小沢氏が「都合が悪い」と拒否し続けているためだ。 野党第一党の党首として職務怠慢だと批判されても仕方がない。だが、それはさておき、小沢氏が党首討論を避けるのは「僕は東北出身で口下手だから」という苦手意識からばかりではない。「夏の参議院選挙で与党を過半数割れに追い込む」という目的意識と、それに基づく「限られた時間を最大限有効に使いたい」との思いが国会ではなく地方に足を向かわせていた。得点を挙げられるかどうか分からない党首討論に準備を含めて数日割くより、各地の参院選候補者のてこ入れに歩いた方が得策との判断だった。
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