大型連休が終わるのを待っていたかのように、「参院選後」をにらんだ与野党の水面下の動きが表に現れ始めた。 自民党の震源地は宏池会だ。 五月八日の夕刻。連休前の四月二十七日にも会談した谷垣派会長の谷垣禎一前財務相が、古賀派会長の古賀誠元幹事長のもとを訪ね、「できるところから協力関係を深めていきたい」と、近い将来の合流を申し入れた。 二〇〇〇年十一月の「加藤の乱」で、親分であった加藤紘一元幹事長と行動をともにし、池田勇人首相以来の伝統を持つ宏池会を分裂させた形となった谷垣氏が、事実上、古賀氏の軍門に降った瞬間だった。 構成員が自民党総裁選立候補に必要な推薦人二十人に満たない十六人から一向に増える気配のない谷垣派は、袋小路に入り込んでいた。 昨年の自民党総裁選に立候補し、予想を上回る得票を獲得して存在感を示したまではよかったが、安倍政権発足後、初めての閣僚・党三役人事では、入閣確実といわれた逢沢一郎氏が選に漏れたように徹底的に排除された。集金力も乏しかった。そこで、番頭格の川崎二郎前厚生労働相を中心に「派閥会長・古賀、総裁候補・谷垣」の線でまとめようと、古賀派との合流論が急速に高まっていたのだ。

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