バージニアの銃弾に隣人の激しさを思う

執筆者:徳岡孝夫2007年6月号

 キャンパスの正面ゲートを出ると、緩い下り坂になっている。五十年近い昔の古い記憶。私は大学から下宿へ、のんびりその道を歩いていた。ニューヨーク州北部の大学町である。 道の真ん中に一台のパトカーが斜めに停まり、警官が二人、車を楯に、私がいま来た方角にピストルの銃口を向けていた。 留学先にまで日本人ならではの平和ボケを持ち込んでいた私は、カッコよく銃を構える二警官を見て「映画のロケかあ」と思った。そのまま歩調を変えず、下宿へ帰った。 ロケでないと知ったのは、翌朝の新聞を見たときである。事件の詳細はすっかり忘れたが、我が住む宿の近くに強盗が入ったと出ていた。ロケにしてはカメラもなく、なるほど監督の姿も見なかった。 こっちも迂闊だったが、警官側も驚いたに違いない。犯行現場の方から一人の東洋人が手ぶらでヒョコヒョコ近付いてきて、全く臆する色なく自分たちを見物しながら傍らを通り過ぎたのである。撃とうか撃つまいか、さぞ困っただろうと思うと可笑しくなり、私は新聞を手にカラカラと笑った。 バージニア工科大学でコリアン学生(二三)が二挺拳銃で三十二人を殺し、自分も死んだ。痛ましい事件だが、銃規制の声は上がっていないという。ライフル協会は例によって「銃が殺すのではない。人が人を殺したのだ」と、屁理屈を並べているのだろう。私が目撃した通り、彼らは何かあればすぐ銃を抜く。銃は彼らの、ほとんど文化であり、それはハリウッドによってしっかり補強されている。

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