自民党の歴史的惨敗に終わった第二十一回参議院選挙の興奮が冷めやらない八月七日、臨時国会が召集され、午前の参院本会議で正副議長選挙が行なわれた。 結党翌年の一九五六年に松野鶴平氏を送り出して以来、自民党は半世紀にわたり参院議長ポストを独占してきた。与野党逆転の大敗を喫した一九八九、九八年の参院選後も「自民党議長」が途切れることはなかった。いかに議席を減らしても、議長を出す要件である「第一会派」の座まで野党第一党に奪われることはなかったからだ。 半世紀も続けば、自民党出身者が議長席に着くのが当たり前の風景になる。今回も敗色が濃厚になるまで、参院自民党内では「次の議長は青木幹雄参院議員会長」と当然のことのように思われていた。青木氏自身も選挙が無事に済めば、片山虎之助参院幹事長らに後事を託し、引退までの三年間は議長公邸で楽隠居させてもらうつもりでいた。 だが運命の七月二十九日、風景は一変した。 六十議席を獲得した民主党に対して、自民党は三十七議席。選挙前は「自民百十、民主八十一」と自民党に二十九議席も水を開けられていた民主党が、非改選議員を合わせ「民主百九、自民八十三」と一夜にして参院第一党に躍り出たのである。片山氏や同じ島根県選出の景山俊太郎筆頭副幹事長ら「青木ファミリー」の有力議員のまさかの落選も青木氏の傷口を広げていた。

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