「東洋のパリ」とはいったいどこだろう?

執筆者:竹田いさみ2007年10月号

「東洋のベニス」とは、つとに知られた中国蘇州の別称だが、最近やたら耳にするのが「東洋のパリ」だ。小さな運河が縦横に走る水郷地帯の蘇州は、十三世紀に訪れたマルコ・ポーロが「東洋のベニス」と称して以来、世界的に認知されるようになった。では「東洋のパリ」とはいかなる場所であろうか。 旧フランス租界の並木道が美しい上海? かつてのフランス植民地として食文化の伝統が息づくベトナムのホーチミン(旧サイゴン)? はたまた、フランスやイタリアのブランド店が所狭しとひしめくシンガポールか。答えはいずれも「ノン」。正解はなんとマレーシアの首都クアラルンプールである。 いったい誰が「東洋のパリ」と名付けたのか、まったく見当がつかない。ひとつだけ確かなことは、中東・湾岸諸国から大勢のアラブ人観光客を誘致するためのキャッチコピーだということだ。中東・湾岸地域に灼熱の太陽が容赦なく照り付ける七月から八月にかけて、夥しい数のアラブ人がクアラルンプールを訪れる。その数は年々増加しており、昨年は約十九万人だったが、今年は三十万人と予想されている。観光省によれば、市内のホテル(約三万室)の稼働率は九八%で、ほぼ連日満室状態。宿泊料金も二―三倍に跳ね上がる。

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