外に上海株バブルの崩壊やギリシャ債務交渉の決裂、内に安保法制審議の行き詰まりに輪をかける自民若手議員のオーバーラン。日本の株式市場の行き先に、俄かに不透明感が漂ってきた。折しも、その直前の日本株は昔のスキーのジャンプ競技でいえば、K点超えを果たしたような局面となっていた。

 6月24日、日経平均株価は一時、2万900円台に乗せ、2000年春のITバブルの際の高値を更新した。1996年12月以来の18年ぶりの高値などと、翌日の各紙は伝える。戦後70年といっても大抵の日本人にとってピンと来ないように、18年前のことを思い出せる人はほとんどいないだろう。

 1964年に開催された前回の東京五輪が、1945年つまり昭和20年の敗戦から19年目のイベントだったといえば、18年という時間の長さが理解できるだろう。もちろんこの18年は、東京五輪までの19年とは全く違う意味合いを持つ。前回の19年の間に、それも「もはや戦後ではない」といわれた1956年から1964年までの間に、日本は目眩(めくるめ)く変化を経験した。

 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観たことのある方なら、その情景を思い出して欲しい。東京タワーがまだ出来ていなかった1958年の東京を舞台にした第1作から、首都高と新幹線が開通した1964年のドラマである第3作までの、東京の街の変貌ぶりを。わずか5~6年のうちに街も生活も一変している。

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