吉田茂『回想十年』の冒頭に登場するのは、エドワード・ハウス大佐という、現代日本には馴染みの薄い米国人である。同大佐は、第1次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議の際に、吉田の義父・牧野伸顕と旧交を温め、同行した吉田も接触を持つに至った。初対面のハウス大佐は開口一番、「ディプロマチック・センスのない国民は、必ず凋落する」と語る。大佐の念頭にあったのは、ヴェルサイユに敗戦国として出席したドイツである。吉田はこの言葉を肝に銘じた。第2次世界大戦中、この言葉は日本のために吐かれたもののようだ、と吉田は反芻したのであろう。

 両大戦間期に米国は、ヴェルサイユ会議で脚光を浴びたウィルソン外交とは裏腹に、国際政治の舞台から引いてしまった。だから、日本外交は、吉田が「底流は断然親英米」と書いてはいるものの、実態としてはワシントンよりもロンドンとの結び付きを重視していた。それは1902年に日英同盟を選択したわが国として当然の道だったと思われる

 戦いに敗れた日本は、形式的には米、英、仏、ソ、中(中華民国)のほかインド、オーストラリア、カナダなど合計11カ国で構成される極東委員会の下に置かれる。しかし、実体的には米国の単独占領下で、GHQ(総司令部)による間接統治の下に甘んじた。この米軍統治の最上位にはダグラス・マッカーサー元帥が座り、傲然と睨みをきかせていた。しかし、吉田茂とこの米国将軍とは最初から不思議と馬が合った。『回想十年』第1巻で吉田はその印象を語っている。

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