日本列島に辿り着いた人々

執筆者:関裕二2015年10月13日

 2015年ラグビーワールドカップでベスト8入りこそ逃したものの、日本は南アフリカを破り、歴史的快挙と称賛された。大会出場チームの中で最も体の小さな日本が、優勝候補の強豪チームを打ち倒したのだ。しかも、これまでワールドカップで1勝しかしていない日本が、である。
 日本のラグビーの歴史は、体の大きな相手といかに闘うか、その研鑽工夫の日々だった。大西鐵之祐(元ラグビー日本代表監督、早稲田大学ラグビー部監督)は「展開、接近、連続」の理論を打ち立て、これを実践し、昭和43年(1968)年にラグビー王国ニュージーランドに遠征した際、オールブラックスジュニアに23対19で勝利し、世間をあっと言わせた。「ジュニア」とはいえ、ニュージーランドにとっては、屈辱的な出来事だった。さらに3年後、来日したイングランド代表を、3対6のスコアまで追い詰めた。
 現ラグビー日本ヘッドコーチのエディ・ジョーンズ(母は日系アメリカ人2世)も、大西鐵之祐と同じ宿題に取り組み、南アフリカ戦でその成果を見せたのである。

フロンティア精神だったのか?

 それにしても、なぜ日本人の体格は、世界レベルになれないのだろう。これには、何万年という歴史の積み重ねが隠されているように思えてならない。
 1987年にアメリカの遺伝学者レベッカ・キャンらはミトコンドリアDNA(母から子に伝わる)の分析によって人類の祖を辿っていくと、20万年前のアフリカのひとりの女性に行き着くと発表した。また、現代人の祖=新人(ホモサピエンス)は、アフリカから各地に散らばっていったと推理した。これが「イブ仮説」だ。
 もちろん、強い反発も受けた。ネアンデルタール人など各地に分布していた旧人と混血があったのではないか、と疑われた。しかし、DNA分析の精度が高まってくると、47万年前に枝分かれした旧人と新人は、今から4万年前まで「共存」していたが、血は混じっていないことが分かってきたのだ。また、2000年になると、ミトコンドリアDNAの全塩基配列を用いた人類の系統樹ができあがり、人類が4つのグループ(クラスター)に分かれること、そのうち3つがアフリカ人で、ヨーロッパ人とアジア人は残りの1つに含まれることもわかってきた。そして、7万~6万年ほど前に、アフリカから飛び出した人びとが、各地に散らばっていったことが、再確認された。もちろん、日本人の先祖も、アフリカを旅立ち、いくつもの経路をたどって日本列島にやってきた。
 不思議に思っていたことがある。なぜ、アフリカに3つのグループの黒人が残り、もうひとつのグループ(白人と黄色人種の祖)だけが、世界に飛び出していったのだろう。
 最初にアフリカを旅立った人々は、150人程度の少数だったと見積もられている。彼らは、フロンティア精神ゆえに飛び出したのだろうか。いや、そうではなく、「見た目の違い(人種差)」と「人口の圧倒的な差」から、迫害され、追い出されたのではなかろうか。
 もうひとつ、不思議なことがある。北を経由した日本人の先祖はシベリアにたどり着き、さらに氷に覆われた海を歩いて渡って日本にやってきた。しかしなぜ、氷河期に極寒の地をさまよい歩いていたのだろう。マンモスやナウマン象などの獲物を追っていたら知らぬ間にシベリアに行ってしまった、というこれまでの説明を信じることはできない。そうではなく「楽園を追い出されてシベリアに逃れ、たどり着いたのが日本列島だった」のではなかろうか。つまり、アフリカを出て人口を増やしていったわれわれの先祖たちだが、その中でも、「弱い者」「体の小さなグループ」は、徐々に外側に追い出されていったという推理である。

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