熊本地震は「日本の風景」をどう変えたか

執筆者:青柳尚志2016年4月26日

 地震はしばしば日本の風景を変える。1995年1月の阪神淡路大震災は、同年3月のオウム真理教の地下鉄サリン・テロ、米クリントン政権が仕掛けた超円高と相まって、戦後日本の成長幻想の背骨をへし折った。2011年3月の東日本大震災は、津波による巨大な被害と東電福島第1原子力発電所の大事故を伴い、日本社会を沈没寸前に追い詰めた。

 今回、4月の熊本・大分地震の前震と本震の震度は7と、東日本大震災に匹敵する。被害に遭われた方には誠にお気の毒だが、阪神淡路大震災などとも異なり、被災地が都市部でなかったこともあって、犠牲となった方の数はそれらの地震に比べて格段に少なかった。内陸地震だったため、津波の被害も発生せずに済んだ。しかも大きな揺れが夜だったので、走行中の新幹線が脱線転覆して、多数の犠牲者を出すようなこともなくて済んだ。稼働を再開した九州電力の川内原子力発電所も無事だった。

 メディアは崩れた熊本城の石垣や倒壊した家屋の映像を繰り返し放映する。これらの物的損害に比べて人的被害が少なくて済んだ、というのが今回の地震なのである。その代わり、震度1以上の地震の回数が850回を上回る余震の多さが、際立っている。いきおい、家屋倒壊のリスクに晒されている人々は、体育館などに避難せざるを得ない。しかも道路や橋が寸断されている結果、水や食料が届かない避難所が少なくないと伝えられる。ノロウイルスなど、感染症の広がりも懸念される。

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