4月10日の未明、日付が変わってすぐに、「『チラン海峡』に架ける橋:サウジ・エジプト・イスラエルの地政学」を「中東の部屋」欄にアップして安心して眠りについたのだが、中東情勢は油断ならない。特に時差が曲者である。

日本とエジプトの間の時差は7時間あるのだが、現地の4月9日夜(日本時間10日早朝)になって、エジプトの独立紙(ただし軍部にも近い)が、スクープなのかリークなのか分からないが、その背後にあったより議論の分かれる合意を報じたのである。エジプトは大騒ぎになった。報道によれば、サウジとエジプトをつなぐ「サルマーン国王コーズウェイ」(日本的に言えば「チラン海峡大橋」)の建設を派手にぶち上げる裏で、エジプトとサウジが海上国境線の確定で合意し、それにより、チラン海峡(ティラン海峡)の二島(ティラン島、サナーフィール島)が、長くエジプトの施政権にあったが、サウジの領海に含まれると明記されたというのだ。エジプト政府も渋々そのことを認めた

チラン海峡の二島は、チラン海峡の海上交通を扼する戦略的な重要性が高く、アカバ湾にエネルギーなどの輸送を依存するイスラエルにとって死活的な意味を持つ。エジプトが1950年以来施政権を行使してきており、エジプトとイスラエルの戦争のたびに、この島をイスラエルが占領した。1973年の第4次中東戦争でエジプトがスエズ運河渡河作戦など、国民の多大な血を流してイスラエルに反撃したこともあり、1979年のキャンプデービッド合意と翌年のエジプト・イスラエル和平条約の調印にこぎつけ、エジプトに返還された。エジプトのナショナリズムにとって象徴的な意味も大きい。

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