新安保法施行と自衛官の悩み

執筆者:林吉永2016年6月1日

 安全保障に関わるシビリアン・コントロールは、集団的自衛権行使を容認、平和安全法制を設定して自衛官の武器使用のケースを増加させた。そのひとつ、『自衛隊法―在外邦人等の保護措置・合衆国軍隊等の部隊の武器等の防護のための武器の使用―』では、「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる」と規定している。しかし、この「合理的」の意味は実に曖昧である。
「時、場所、相手、規模」などの予測が不可能で、しかも、「命懸け」の事態に遭遇してコンマ秒の即応が求められる時、安保関連法を紐解き、道理の適否確認は至難である。曖昧さの解消や逡巡の時間は、リアクションを遅らせ状況を悪化させるだろう。その結果、安全や他国との信頼関係を損ない、集団安全保障の枠内に居る我が国の立場を失いかねない。

「武器使用」は個人の責任か

 ここでは、「法に照らし、適っているか否か合理的に判断して武器を使用せよ」と、前線の自衛官に重大かつ深刻な決心を求めている。しかも軍事の世界における通常時の「武器使用」は「指揮行為」に委ねられる「武力行使」だが、自衛官個人の判断と行為に依拠すると解釈されているこの法制下の「武器使用」は個人の責任に帰すると考えられる。従って、自衛隊では、指揮官も部下も、最善を期して、法の学習はもとより、より数多くケース・スタディーを重ね、「個人の適正で合理的な行動」に抜かり無く備え責任を果たそうとしている。ところが現実には、経験、階級、職域などの異なる自衛官全てが、任務に関わる同一の法的識見、道徳的感性、判断力、瞬時の反応力を共有しているわけではない。
 このため、軍事の現場には、職責に対応する学習訓練を積み重ねた指揮官が、命令に忠実な部下隊員を率いて事に臨む基本の体制が在り、事態の種類、深刻さに応じ得る態勢が設定され、組織には、機能に応じた人員と装備が与えられている。この作戦指揮の究極は、一般社会の秩序や規範と真逆の、「武器使用」や「武力行使」によって「相手に我の意思を強要するための殺戮や破壊」を行う軍事的合理性の世界である。
 このような「法と現実との乖離」の下で、自衛官個人の武器使用が非難されることになった場合、シビリアン・コントロールが自衛官に責任を転嫁する恐れ無しとはできない。現状では、国外において軍人であっても、国内では軍人扱いを受けられない渦中の自衛官に対して、安保法制に一種の「瑕疵」が生じていると考えるのは乱暴だろうか。

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