橋の名のシンボリズム補遺

執筆者:池内恵2016年8月29日

先ほど、第3ボスフォラス大橋が「セリム1世(冷酷者)大橋」と名付けられたことと、そのシンボリズムを解説したが、他の2つの橋の名にも明瞭なシンボリズムがある。

日本企業が建設に参加したことで、日本で特に知られる第2ボスフォラス大橋は、「メフメト2世大橋(Fatih Sultan Mehmet)」と呼ばれる。ファーティフとは「征服者」の意味。メフメト2世(在位1444ー1446年;1451−1481年)はバルカン半島の支配地を広げ、1453年にコンスタンティノープル(後のイスタンブル)を征服し、ビザンツ帝国を滅ぼした。

また、1973年に開通した第1ボスフォラス大橋(建設はトルコと英・独のJV)は、元来は「イスタンブル海峡大橋」と呼ばれていた。開通当時は世俗主義の全盛期で、オスマン帝国時代にちなんだ名称を付けるなど思いもよらなかっただろう。それが、今年7月15日のクーデタ失敗後に、「7月15日殉教者大橋」と改名されている。

「ヨーロッパとアジアにまたがる」トルコの国家のアイデンティティに深く関わる三つの海峡大橋の名前とその変遷から、トルコの内政と国際政治環境の変化が読み取れる。

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