つい最近、縁あって大分県日田市で講演する機会を得た。日田で出土した重要文化財の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)と邪馬台国にまつわる話をしてきたのだが、日田では、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を国宝にしてほしいという運動が進んでいる。西日本新聞社も3日連続で、講演会の特集を組んでくださった。一般にはほとんど無名の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡だが、こののち、邪馬台国論争の鍵を握るようになるかもしれない。

もともと漢の王族が所持

 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は昭和8年(1933)、大分県日田市日高町の久大(きゅうだい)本線建設現場で発見された。小さな土砂崩れがあって、お宝が続々と出現した。その中に、サビの固まりが混じっていて、これが、漢の時代の至宝・金銀錯嵌珠龍文鉄鏡だった。
 土地の所有者・渡辺音吉氏(2008年に物故)が、サビの固まりを小学校に寄贈したが、その後行方不明となり、昭和35年(1960)、京都大学の考古学者・梅原末治が奈良の古美術商から買い取り、研ぎ上げを天理大学に依頼した。すると、サビの中から、見たこともない図柄が飛び出してきたのだ。
 直径21センチ強、厚さ2.5ミリの鉄鏡で、鏡の裏側に8匹の竜が金と銀であしらわれ、目の部分に緑色の石英、鏡の縁に渦巻き状の模様「渦雲文(かうんもん)」が施されていた。
 中国の三国時代に書かれた『曹操集訳注』(そうそうしゅうやくちゅう)には、「皇帝は金をあしらった鉄鏡、皇后と皇太子は銀をあしらった鉄鏡、以下の貴人たちは、金銀を用いない鉄鏡を持った」とある。すなわち、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は漢の王族が所持したお宝だったということだ。そのため日田の人たちは、「卑弥呼の鏡ではないか」と期待するが、ここはひとつ冷静になろう。可能性は否定できないが、邪馬台国と漢では、わずかに時代がずれている(後漢が滅びたのは西暦220年。卑弥呼が魏に朝貢したのは239年)。

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