稲田防衛大臣「南スーダン視察」の違和感

執筆者:林吉永2016年10月17日

 稲田朋美防衛大臣は、駆けつけ警護発令に関して、「隊員が安全を確保しつつ有意義な行動ができるような現地の状況であるのか、私が見られる範囲で見てくることは重要で、政府全体の判断の一助にしたい」との目的で南スーダン派遣陸自部隊を視察した。稲田大臣の視察には、「閣僚である政治家」「安全保障外交上のキーパーソン」「陸海空自衛隊の指揮官」という異なる立場があり、それぞれが深く関係し合っている。
 7時間の滞在で判断材料を得るというパフォーマンスであったが、見ないよりは見た方がいい。しかし、垣間見だけの判断ミスは国を危うくする。

国際通念との乖離

 この視察に対する批判には、「現地部隊軽視、政務の都合優先?」「短時間の視察で何を?」「南スーダン難民が殺戮・破壊に怯えているのに隊員の安全確保優先?」「避難民向け退避壕構築は危険の証し!」「自動小銃携行の政府軍兵士約10人、トラック2台が稲田大臣一行の陸自防弾四駆のジュバ市内移動車列警護!」「南スーダン派遣隊員は、鉄帽、防弾チョッキ着装の他方、稲田大臣らの軽装は意図的に安全を強調?」などがある。
 
 加えて、稲田大臣は視察当日の8日、「現地の治安は落ち着いている」と発言したが、その日、首都ジュバ近傍の幹線道路でトラックが銃撃され市民21人が殺されていた(10日、南スーダン政府発表)。
 
 国際社会においては、21世紀の「新たな戦争」を、国家間の武力衝突に加え、テロ、内紛などほぼ全ての武力衝突、殺戮・破壊を指して言うようになった(防衛研究所ニュース2013年12月「戦争の将来像―歴史家の立場から―」石津朋之)。しかし、日本では、その国際通念上の「戦争」や「PKO」と乖離した議論が行われている。

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