映像作品はディテールが重要である

執筆者:成毛眞2016年10月20日

 ようやく『シン・ゴジラ』ブームと『シン・ゴジラ』評論ブームが終わった。終わったのであえて言うと、なかなか面白かった。特に良かったのはディテールだ。各官庁で使われる符牒、使用されるデジタル機器のメーカー、登場人物が身につけている靴や小物も実にリアルだった。そのディテールのリアルさは、北野武作品に通じるものがある。これに欠けている作品は、どんなにストーリーが面白くても、とたんに冷めてしまう。
 あるとき、書籍に関するプロが主人公の映像作品で、画面に映った本棚に並ぶ本が、とてもプロのものとは思えず、一気に関心を失ったことがある。大半のSF映画もそうだ。リアリティがないとしらけてしまう。ある映画では、主人公が宇宙空間で隕石の上に立つのだが、その隕石はせいぜい半径100キロ程度。そんな小さな隕石では人間を立たせるほどの引力があるはずがない。雄々しくヒーローがそこに立ったとき、私の興味は急速にしぼんだ。
 しぼんだと言えば、人間によく似た宇宙人が出てくる物語も興ざめだ。海をゆく戦艦にそっくりな宇宙船が出てくるものも不得手である。宇宙人が人間に似ていないといけない道理はないし、宇宙船が戦艦型でなければならない理由はもっとない。なので着ぐるみなどもってのほか。従ってゴジラも初代を途中で投げ出して、それっきりだった。当時はそれしかやりようがなかったとは言え、子ども向けであっても、そこは徹底していただきたかった。
 その点、『2001年宇宙の旅』は今振り返ってもリアルだった。登場する人工知能を備えたコンピュータ『HAL 9000』は、今やiPhoneで使われている音声認識と検索機能を合わせたSiriそのものだ。SFと一言でくくられることが多いこの分野も、リアリティという観点で見れば、実に玉石混淆で、大人になって益々目の肥えた私にとっては石の方ばかりが目についてしまう。
 今は、海外のサスペンス風ドラマが面白い。今の映画はCGに予算をつぎ込むが、海外ドラマはセットとロケに費やしているからだ。
 たとえば『ナルコス』。1980年代にメデジン・カルテルを創設した麻薬王と国家との戦いを描いたものだ。ネット専門テレビ局であるネットフリックスのオリジナルだから、スポンサーなどに気を使うこともなく、実にリアルなシーンが展開される。
 このドラマの見所は、実話をもとにしたスリリングなストーリーだけでなく、マフィアが逃げ回り潜伏する邸宅が、実に豪華でリアルなのである。「あ、これはセットだな」「使い回しだな」と冷めることがない。

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