10月16日、南スーダン北部の町マラカルでトラックに乗り込む政府軍の兵士たち(C)AFP=時事

 1992年から1995年までアフリカのソマリアで展開されたPKO活動は、介入の失敗例の典型とされている。1991年にシアド・バーレ政権が崩壊し、国民が軍や警察から武器を奪い、ソマリアは完全な無政府状態となった。食糧不足と治安秩序の全面崩壊によって人道危機が深刻化したことで、大規模な国連PKOが2段階に分けて編成され、米軍がその中心となった。安保理は国際連合憲章第7章に基づき、武力行使を含む必要なあらゆる措置の実施権限を付与し、いわゆる平和の強制執行を開始した。

武力行使の難しさ

 米軍を主力とするPKOは当初、ソマリアの一般市民から大歓迎されたが、多数の民間人を巻き込んだ武装勢力との戦闘や、地元の伝統や慣習を尊重しない国家建設の押しつけによって人々の反感を買い、PKO部隊への襲撃が多発し、最終的に撤収した。結局、ソマリアには現在まで全土を実効支配する中央政府が存在せず、アルカーイダと関係の深いイスラーム武装組織アル・シャバーブも国土の一部地域を支配している。

 南スーダンで展開中のUNMISSは2011年7月に発足した当初、安保理決議によって「国家建設」のための任務のみを付与されていたが、治安状況の悪化を受け、新たな安保理決議に基づいて「文民保護」にまで任務を拡大してきた経緯がある。ソマリアでのPKOのような「平和の強制執行」を任務としてはいないものの、文民保護のために一定の武力を行使することは、国際法上認められている。

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