「改憲勢力3分の2超す」「衆参両院で憲法改正に向けた政治環境が整うのは戦後初めて」―—メディアが今年7月の参院選の開票結果をこのように大きく報じてから3カ月あまり。当初は、「改憲勢力」が衆参両院で改正発議に必要な3分の2以上を占めれば、国会で憲法改正に向けた動きが本格化するだろうという見方をメディアは盛んに伝えていた。
 私は最初からそうした見方に非常に懐疑的であった。案の定というべきか、秋の臨時国会に入り衆議院憲法審査会はまだ1度開いただけで、年内に具体的な改憲項目に関する審議は行われない見通しという。

「3分の2」でも改憲プロセスが進まない理由

 私が、現在の国会勢力図のもとでも憲法改正プロセスがそう簡単に進まないと考えている理由は、主に3つある。
 第1に、日本の近現代史において、正常な民主的政治プロセスを経て憲法を制定または改正した経験は1度もなく、未知の政治的領域であること。
 第2に、憲法は公正な民主政と人権保障のため党派を超えて受容できる基本的ルールを定めるものであるにもかかわらず、党派的・イデオロギー的視点で捉える人々が依然として多く、実務的態度をもって語られることが非常に少ないこと。
 第3に、現在の国会、政党政治システムの中に、超党派の憲法論議を阻害する構造的要因があること。
 第1の点は、いうまでもないことだろう。大日本帝国憲法(明治憲法)は帝国議会が開設される前に制定され、「大日本憲法発布の詔勅」に基づいて発布された欽定憲法であり、日本国憲法が制定されるまで1度も改正されたことはなかった。そして、現行の日本国憲法は当時の日本政府ではなく連合国最高司令官の指示に基づいて草案が作られ、連合国の占領や事前検閲による間接統治支配の下、公職追放されなかった議員で構成された帝国議会が審議し制定したものであった。その後、日本国民は今日まで1度も日本国憲法を改正したことがないだけでなく、改正原案を国会に上程、審議した経験すら持たないのである。
 したがって、一応、憲法改正を行うための手続法(国民投票法)は2007 年に整備されたものの、一般国民も、政治家もメディア・有識者も実際にどのように進めたらいいか分かっておらず、その手続きをスムーズに進められるはずがない。
 第2は、日本国憲法制定以後、長らく日本の政界および言論界を支配してきたのが、イデオロギー対立を背景にした「改憲か、護憲か」という不毛な論争であった、という点である。
 ここで看過してはならないのは、主流の“改憲派”のいう「改憲」の実質は「日本国憲法にとって代わる第3の憲法体制を打ち立てる」ことを志向した「全面改正論=自主憲法制定論」であったのに対し、主流の“護憲派”のいう「護憲」の実質は、主流の“改憲派”の企てに対する抵抗として「日本国憲法を部分的であれ全面的であれ改定することを拒絶する」ことを志向した「改憲阻止論」であった、ということである。その結果、「日本国憲法の継続性を前提に、是々非々の態度で、超党派的視点をもって、漸進的に憲法の部分的な改良を目指す」ことを志向する「憲法改良論」が、極論を掲げた勢力の狭間で埋没し、ほとんど力をもってこなかった。実は、国民投票法の制定時に、数項目の部分改正しかできない個別投票方式が採用され(国会法第68条の3)、「全面改正論」は“改憲派”の幻想または“護憲派”の杞憂に過ぎなくなっている。全面改正を可能とする法改正が検討されているという話は全く出ていない。にもかかわらず、旧来の「改憲か、護憲か」のパラダイムが今も憲法改正をめぐる言説や報道の基調をなしているのである。
 しかし、私が本稿で最も注意喚起したいのは第3の点、すなわち、両極勢力に挟撃された穏健な「憲法改良論」の台頭を阻む構造的要因が、現在の国会システムに潜んでいることについて、である。

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