どことなく感慨を誘う記事を見つけた。

 ギリシアのテッサロニキ(オスマン帝国時代の旧名サロニカ)とトルコのイズミル(旧名スミルナ)を結ぶフェリー航路の開設が計画されているという。

 テッサロニキとイズミルを結ぶ航路が持つ歴史的因縁と、現代の象徴性は、拙著『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)を読んでいただいた方には分かるかもしれない。

 トルコとギリシアという元来仲が悪い国をつなぐ航路計画というだけではない。テッサロニキとイズミルは、トルコとギリシアの悲劇的な分離を象徴する、対をなす都市である。

 現在のトルコ領アナトリア半島のエーゲ海岸スミルナは、オスマン帝国でギリシア人が拠点とした代表的な都市だった。他方で現在のギリシア領になっているサロニカは、トルコ共和国建国の父ケマル・アタチュルクの生まれ故郷でもあるように、ムスリムやユダヤ教徒が多数を占める都市だった。

 第一次世界大戦後のオスマン帝国の崩壊過程でスミルナは、ギリシア軍のアナトリア半島のスミルナ占領(1919年5月)と、ケマル・アタチュルク率いる、トルコ共和国を設立する勢力によるアナトリアの奪還、そしてスミルナ大火(1922年9月)によって、トルコからのギリシア人の放逐の悲劇を集約した都市として記憶されている。

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