昨日の「中東の部屋」で取り上げた、近代の国民国家・主権国家としてのトルコを根拠づけたローザンヌ条約について、補足として一つの記事を紹介しよう。

 この記事はトルコの世俗主義派のメディアに載った、エルドアンのローザンヌ条約批判(=ケマル・アタチュルク批判、近代主権国家としてのトルコの否定につながる)に反応して、批判的に論及するものだ。そこで、そもそもローザンヌ条約とは何だったのかについても簡潔にまとめてくれている。

"What’s wrong with the Lausanne Treaty?" Hurriyet Daily News, September 30, 2016.

 ローザンヌ条約は大枠として今のトルコの国家の性質を決めているけれども、もちろんトルコのすべての国境がこの一つの条約で一度に決まったわけではない。それ以前に2国間で結ばれた条約で決まっていた国境を追認したり、ローザンヌ条約までに決着がつかずに持ち越されて後に決着した部分がある。

 ローザンヌ条約についての基礎事実と、それによって直接定まった国境と、すでに確定されていた国境、その後に確定された国境について、簡潔にまとめているのが以下の部分。

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