「スーパー研究者」育成法に関する年末の夢想

執筆者:平野克己2016年12月14日
現役官僚の知的パフォーマンスはやはり侮れない(C)時事

 

 研究者集団を預かっていて、また私自身研究者としてのキャリアを歩んできて、最近つくづく思うことがある。それは、多彩多様で密度の濃い経験を積むことの大切さだ。

 経験値の小さい人間はどうしても思考の幅が狭く、汎用性に劣る。若いときに埋め込んだ知識や理論の芽がないと、あとからでは吸収力がつかないものだ。修行が薄くて引出しが少ない人は、新しい知識を記憶することすら段々と難しくなる。だからますます知識量が細り、辛うじて残った知識も古くなっていく(私自身これが怖い)。研究者を含め有識者に求められるのは、まずなにより豊富な知識である。知識量の多い研究者は研究テーマの多い人であり、研究トピックが少ない人は概して知識量も少ない。

 他方、学界に根強い指向性は「狭く深く」であろう。だが、知識の幅が狭い人には多種多様な職業の人々を納得させられるだけの実効性をもった深みは、なかなか期待できないのが実情だ。深い穴は広く掘らないとつくれないものである。私の経験では、一流の学者ほど硬軟軽重いろいろな仕事をホイホイ引き受けるもので、專門が違うだの思想が合わないだの言って腰の重い人は、まず二流だ。だからますます差がついていく。

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