12月15、16日に行われた、安倍総理とプーチン大統領による日露首脳会談。筆者の関心はもちろん北方領土問題にあった。「平和条約締結後の色丹島・歯舞諸島の返還」を明記した「1956年の日ソ共同宣言を確認する」との言及があるかと思われたが、結果はご承知のとおりである。

 国内では一時「4島一括返還」の期待まで膨らんでいただけに、日露首脳会談の成果全体を否定的にとらえる向きも多いようである。だがロシアの軍事戦略を考えれば、日ソ共同宣言通りの歯舞・色丹の2島返還に期待は持てても、択捉・国後両島についてはそもそも厳しいものだったのである。

極東ロシアの軍事戦略の変遷

 幕末以来、日本はロシア(もしくは旧ソ連)の「南下」を警戒し、また対峙し続けてきた。シベリアにおける不凍港の獲得しかり、日露戦争そして第2次世界大戦での満州や朝鮮半島をめぐる争いしかり。だからわれわれには、「ロシア=南下」という意識が強くある。北方領土自体も、南下してきたソ連軍によって占領されているわけで、日本人にとって「ロシアの南下」はまぎれもない事実であり、冷戦期には陸上自衛隊が北海道に兵力を集中させていたのも、それが理由であった。また一方、ロシアが択捉・国後に固執するのは、軍事的には「オホーツク海から太平洋への南端の出口」、すなわちウラジオストック(「東方征服」の意味)のためとの見方が一般的でもあった。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。