まことの弱法師(11)

執筆者:徳岡孝夫2017年3月12日

 これもハワイでの留学準備記の拾遺である。横浜を出た船内で書きホノルルで投函した妻への手紙に、私は船出した晩、「正田さんと2人で仲間にブリッジを教えた」と書いてある。

 推測だが正田氏の勤めている銀行または正田家でブリッジをしていたらしい。

 あれはルールを覚えてしまえば時間の経つのを忘れるが、麻雀の洗牌時のような騒音を伴う解放感がないからか、今日も麻雀に並ぶ人気を得ていない。だが日本にも、ブリッジ愛好者の大集団が戦前から存在した。帝国海軍である。

 四角いテーブルの四辺に4人のプレイヤーが坐る。対面はあなたのパートナー、両側は敵である。4人は配られた札を開き、各自の手によって獲得可能な手の数を宣言する。

 そこから先は省略するが、攻撃と防御、豪胆と細心、正面突破とスクイズ、実戦での用兵に似た駆け引きで勝負を争う。

 太平洋戦争の劈頭、北からハワイに忍び寄った帝国海軍の空母を主力とする第1航空艦隊は、真珠湾の米太平洋艦隊主力を壊滅させた。航空攻撃を重視してきた山本五十六連合艦隊司令長官にとっては、会心の勝利だった。風流は武人のたしなみ。彼はブリッジに事寄せて腰折れ一首をひねり出した。

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