まことの弱法師(12)

執筆者:徳岡孝夫2017年3月25日

 1人でアメリカ本土に放り出された。しかも背中には「昨日の敵」のレッテルが、まだ付いている。

 基礎的学習と生活のコツを習ったハワイから初体験のジェット旅客機で4時間、目の下はるかに真っ赤なゴールデンゲート・ブリッジを認めた。霧の切れ目の一瞥。夢の浮橋かと思った。

 ユニオン・スクエアに近い1泊2ドルの安宿に荷物を預け、午後の町に出た。息を呑む瀟洒な町並みであった。

 住宅街の家は申し合わせたようにベイ・ウィンドーに花を山盛りにした花瓶を置き、静まり返っている。戦前の我が家の北側、端から端までがキンモクセイで、それは阪急西宮北口駅の出口を出たときから甘く匂っていた。戦後に人手に渡った家を思い、遠くサンフランシスコの町を歩きながら、私は堪らなかった。

 病院から戻ってきた母の遺体は、あの家の8畳間に北枕にして置かれた。鬢が少し解れ、左の頬にかかっていた。誰かが掛け布団の母の胸にあたる位置に短刀を置いた。

「でも27とはねえ」

「なんぼなんでもねえ……」

 女の会葬者が囁き交わすのを聞いて私は母の年を知り、それを憶えた。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。