4月3日、ロシア・サンクトペテルブルクの地下鉄工科大学駅前で、爆破事件の犠牲者を追悼し、献花するプーチン大統領 (c)AFP=時事

 

 14人が死亡し50人以上が負傷した、ロシア・サンクトペテルブルクの地下鉄爆破テロ事件。プーチン大統領は同時刻、ルカシェンコ・ベラルーシ大統領との会談のため滞在中で、しかも出身地というお膝元のサンクトペテルブルクでのテロ、そして実行犯とされる容疑者がチェチェンや北カフカスではなく、中央アジア・キルギス出身の移民だったことなど、プーチン政権に与えた衝撃は大きい。このテロの背景にはいったい何があるのか、拓殖大学海外事情研究所教授で、「専門家の部屋」の「ロシア」運営者である名越健郎氏に聞いた。

アレッポ空爆が直接の引き金か

 ロシアにおけるテロといえば、2000年から2005年頃までは、イスラム系のチェチェン独立派による犯行が中心だった。犯行声明が出されたものだけでも、2002年10月のモスクワ・ドゥブロフカ劇場占拠、12月のグロズヌイの行政府ビル爆破、2003年6月のモスクワ野外コンサート会場爆破、2004年8月の旅客機同時ハイジャックとモスクワ地下鉄駅付近爆破と、首都モスクワを中心にソフトターゲットを狙ったテロが多かった。

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