2月4日、リヨンでの集会で演説するマクロン(筆者撮影)

 

 エマニュエル・マクロンが大統領候補として急浮上してきた第4の要因は、状況を素早く見極め、チャンスをつかむ能力である。

 マクロンが2017年大統領選への立候補を明らかにしたのは、2016年11月だった。絶対的に有利な候補者が存在しない状況を読み取り、「行ける」と踏んだ判断力は、現在に及んで正しさが証明されつつある。また、社会党が中心になって実施した左派予備選への参加を誘われながら断り通したのも、正しい対応だった。

ぽっかり空いた「中道」の真ん中

 当時、右派「共和主義者」の候補としてはまだアラン・ジュペが最有力だと見られており、大統領フランソワ・オランドも再選出馬を断念する前だった。ジュペとオランドという右派と左派の穏健派2人がいれば、マクロンの影は薄い。だから、その時点での立候補表明は大きな賭けだっただろう。にもかかわらず、彼はそこにチャンスを見いだした。「オランドは恐らく出ない」「ジュペはいずれ失速する」といった見通しがあったからに違いない。

 結果的にオランドもジュペも出ず、主要候補は右翼のマリーヌ・ルペン、右翼に近い右派フランソワ・フィヨン、左翼のジャン=リュック・メランション、左翼に近い左派ブノワ・アモンに絞られた。中道周辺の真ん中がぽっかり空くという、マクロンにとって理想的な展開である。ただ、マクロンが今回あえて勝負に出たことがその前提となっているのは、言うまでもない。

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