南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加していた4月17日から撤収(撤退)を開始し、順次帰国している。3月10日に、突如、安倍首相が撤収を発表した時のことははっきり覚えている。かなり高いレベルでこれに関する政策に関わり、実施を指揮する立場の人たちにさえとっても、衝撃的な、トップダウンの政策展開だったのではないかと思う。

南スーダン情勢が悪化し、紛争と飢餓の危険性が高まる中で、これまで以上に部隊の派遣が要請される段階になっての撤退は、PKO政策としてはいかにも筋が悪い。江戸の川柳にいう「本降りになって出て行く雨宿り」そのままであり、現場で細心の注意を払って犠牲を出さずに任務を終えようとしている自衛隊の人たちには敬意の念を抱いているものの、政策として評価できるものではない。

「森友問題の隠蔽」を図るタイミングでの決定だ、等々の邪推を招いた(これはそれほど重要な論点とは思えないが)だけでなく、以下のような様々な問題を深く追及することなく終わってしまったという意味でも後味が悪い。

「戦闘」という日報の記述を隠蔽したと疑われる問題にしても、一方では防衛相の統率能力の欠如を疑わせるものであると共に、逆に、隠蔽や隠蔽の暴露によって政治家が失墜するならば、国民に選ばれた代表による文民統制を現場が(文官であれ制服組であれ)容易に覆すことができる前例・手法ともなりかねないだけに(今回はそのような背景・意図があったかはわからないが、不作為による行き違いを途中から脱法・法の趣旨に反する手法で隠したことは確かだろう)、より深い検討を社会が行なっていく必要のある問題だったが、撤収を決めた途端に議論は消滅してしまった。これは撤収を決めた側だけでなく、それによってなぜか追及を止め、深く議論すべきものを逃してしまう側の問題でもあるだろう。

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