中国のジブチ進出、特にアジスアベバとの間をつなぐ、アフリカ大陸初の電化鉄道を「開通させた」ことを、途中まで記してきたが、100年前にフランスがジブチ−アジスアベバ間に鉄道(Ethio-Djibouti Railways)を引いたという話をきっかけに、少し脱線してみたくなった。

フランスにとっては、ジブチを植民地とし、そこからエチオピアに鉄道を走らせるのは、イギリスと競った「アフリカ分割(Scranble for Africa)」で優位に立つための、渾身の一手だった。フランスは元来、アフリカ大陸の北西に位置するマグリブ(北アフリカ)諸国と、セネガルやマリといった西アフリカ諸国で植民地支配を広げた。それに対してイギリスは、北はエジプト、南は南アフリカに植民地を確固たる拠点を築き、アフリカ大陸を縦断するアフリカ植民地の広大な領域を確保しようとしていた。

フランスはここで東アフリカのジブチに橋頭堡を築き、そこから西にエチオピアへと手を伸ばし、さらにそこからさらに西へ行って、現在の南スーダンへとつなげ、その先の西アフリカのフランス植民地の本拠地と結ぼうとした。こちらはアフリカにフランス植民地の東西回廊を通そうとしたのである。

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