陸上自衛隊第7師団第7偵察隊は、装甲偵察部隊だ [陸上自衛隊第7師団ホームページより]

 

 日本の騎兵の歴史はどうだったのであろうか。

 フランス帰りの秋山好古によって育成された日本騎兵は、日露戦争で赫々たる戦果を挙げ、同時に優秀な参謀将校を多く育成してきた。しかし、欧州中心の第1次世界大戦で火力の優越が大きなものとなると、「騎兵の終焉」が囁かれるようになる。

 1919(大正8)年11月から翌年4月にかけて、参謀本部第4部長(戦史・戦術・戦略担当)の国司伍七少将(士官候補生5期)と、当時騎兵第4旅団長であった吉橋徳三郎少将(士官候補生2期)との間に、乗馬戦闘全面廃止までにも及ぶ論争が『偕行社記事』上で行われ、陸軍の大騒動になった。これは同年8月の吉橋少将の割腹自殺で沈静化し、その結果か、後の騎兵操典改正でも、乗馬戦闘は徒歩戦闘と並ぶ戦術として維持された。

 しかしその後、世界の趨勢に習い、機関銃の増加などによる乗馬歩兵化や、捜索連隊の創設による機械化が進んだ。1941(昭和16)年には最後の騎兵監であった吉田悳中将(陸士20期)が、歩兵科の流れを汲む戦車兵を統合して機甲兵科をつくって自らが機甲軍司令官となり、兵科としての騎兵は消滅した。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。