仮に熱愛中のカップルのメールのやり取りをのぞき見たとしたら、盛り上がっているのはご当人たちだけ、見た方が恥ずかしさと後悔に包まれることだろう。しかし、ここに収められているラブレターには、一般的な恋愛を超えた様々な意味がある。本書『死刑囚永山則夫の花嫁 「奇跡」を生んだ461通の往復書簡』は、1968年、東京や京都などで4人を射殺し、97年に死刑が執行された永山則夫と、文通で心を通わせ獄中結婚した女性・和美との往復書簡集だ。初めて明らかになる2人の膨大な手紙は、作家であり運動家でもあった死刑囚の素顔と心の変化を浮き上がらせている。

1度は「無期懲役」判決に

 文通が始まった1980年4月から、二審の東京高裁で無期懲役判決が出た81年8月までの手紙461通のうち、主要な117通を収録している。沖縄出身で米国に移住していた和美は偶然読んだ永山の手記『無知の涙』に心を動かされ、手紙を書き送った。文通が始まり、やがて和美は日本へ。80年12月、2人は東京拘置所の面会室で式を挙げた。新郎31歳、新婦25歳だった。
 ここから2人の物語が始まるのだが、その前に、永山の事件と裁判にふれておく必要があるだろう。
 集団就職で上京した永山は19歳の時、盗みに入った横須賀の米軍住宅で拳銃を手に入れると、東京、京都などで警備員ら4人を射殺し逮捕された。逮捕後に猛勉強し『無知の涙』を出版、ベストセラーとなる。「無知と貧困が犯罪を生む」と社会構造の矛盾を叫ぶ永山の周りには、支援者が集まり始めた。東京地裁で死刑判決が出されたのは79年。しかし、81年の東京高裁は、結婚で心情の変化があるなどとして無期懲役に。最高裁で死刑が確定したものの、生と死の間を揺れ動いた永山裁判は死刑制度についてあらためて論議を呼んだ。この間、永山は小説を数多く発表し、『木橋』で新日本文学賞を受賞している。

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